以下、私が実家に帰省し、個人的に思った事を書き綴っています。
人それぞれ考え方や感じ方も、10人いれば10人とも違って当たり前。
ですが、この世に生を受け、全てが順調ではない人生であったとしても小さくても感謝の気持ちを常に持ち、1mmでも何かしら前に進んでいければイイかなー、とご先祖様に手を合わせながら、そう思った次第です。
さて、皆さんは今年、どんなお盆を過ごされましたか―
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◆お盆に思うこと
お盆休みが終わり、ようやく日常のリズムが戻りつつあります。
今年のお盆も両方の実家に顔を出し、家族とともにお墓に手を
合わせてきました。
年に一度の大切な時間。ご先祖様に手を合わせると、ふと…..
「私たちが今こうして生きているのも、先代があってこそなのだ」
と心から感じます。
特に今年は戦後80年となっていることから各メディアも例年以上に大きく取り上げている関係もあり、私の意識も少し違ったものになっていたと思うのです。

正直なところ、若いころの私は
「自分の時代が終わったら墓じまいでもいいかな」と
思っていた節がありました。
自分がいなくなった後のことは、残された人が好きなようにすればいいだろう、と軽く考えていたのです。
しかし、今回のお墓参りを通じて、その考えが大きく揺らぎました。いや、揺らいだというよりも、
むしろ「守り続けなければならない」という思いに変わったのです。
ご先祖様が生きていた証、その想いが刻まれた土地やお墓を受け
継ぐことは、単なる義務ではなく「感謝を形にすること」なのだと感じました。
◆戦争で散った命と祖母の言葉
この思いをさらに深めてくれたのは、私の父方の家族の歴史です。
父は三男坊として生まれましたが、その上の長男・次男は戦争で命を落としました。
私がまだ小学校低学年だったころ、祖母からその話を聞いたことがあります。
「お父さんのお兄ちゃんたちは、戦争でね……」
祖母は淡々と、しかしどこか誇らしげに語ってくれました。
実の息子を二人も戦争で失ったというのに、涙ながらにではなく、まるで日常の出来事を話すかのように、あっけらかんと。
これは恐らくですが、<気丈に振舞う>とかではなく、
あの時代では、”抗えない流れであったこと”、
そして、同じく多くの方が”その運命に晒されたこと”により
【犠牲】ではなく、「御国を守る為に身体を張った。仕方なかった。」
と心の奥底に沈め、自らを納得させる形で今を生きていたの
だろうと。
幼い私にはその意味がすぐには分からなかったけれど、今思えば、あの強さこそが「時代を生き抜いた証」だったのかもしれません。

そう考えると、戦争で亡くなった人々も、
やはり「守り続けるべき先人」なのです。
彼らの犠牲があって、今の平和な暮らしがある。
そのことを軽んじてはいけない。と感じています。
◆自分だけの「日々の感謝」
私は以前、子どもに「自分が死んだら風葬でもエエで」みたいな事を言っていました。
どこか「死んだら終わり」「自分のことさえ良ければそれでいい」と割り切っていたのです。けれど、今は違います。
自分の存在は先代からの積み重ねであり、
だからこそ「終わり」ではなく「続ける」ことが大切なのだと。
ここ2か月前から、私は毎朝ベッドの上で正座し、30秒ほど静かにご先祖様への感謝を伝えるようにしています。
朝のルーティンワークの1つとして。
仏壇も位牌もないけれど、心を込めて祈ることが大事なのだと思います。
わずか30秒でも「今日もありがとうございます」と伝えるだけで、不思議と心が落ち着き、一日を前向きに始められるようになりました。
◆お墓参りの後に感じた「現代の夏」
さて、そんなお墓参りを終えて実家に戻ってきたら、
つい口から出たのは「やっぱりクーラーって最高!」という言葉でした 笑

真夏の暑さは年々厳しくなっているように思います。
昔は「冷夏」なんて言葉を耳にしたこともあったのに、
今ではすっかり聞かなくなりました。
逆に「猛暑日」なんて言葉が当たり前になっているのですから、
時代の変化を感じますね~。
私はもともと冬が大の苦手で、寒さで身体が動かない季節をどうにか乗り切るより、暑さの中で汗をかく夏の方が好きでした。
以前は「夏100:冬0」と言えるくらい断然夏派だったのですが、ここ2~3年でその比率が「60:40」にまで変わってきています。
あまりの猛暑に、外に出る気力さえ奪われてしまうのです。
実際、お盆中に神戸のメリケンパークに立ち寄ったのですが、
人影はまばらでした。あれほど人気の観光地でさえ、炎天下では誰も長居できないのでしょう。
涼しいはずの夜でさえ蒸し暑く、結局は家のクーラーに頼らざるを得ません。
◆ご先祖様と現代の暮らしをつなぐもの
こうして考えると、私たちが「快適さ」を求めてエアコンや電化製品に支えられているのも、戦後の復興と先代の努力があってこそなのだと気づきます。
(ちょっと大袈裟かもしれませんが….)
電気があること、冷房があること、そして安心して暮らせること。
それらはすべて「当たり前」ではなく、ご先祖様の積み重ねがあったからこそ享受できるものなのです。
だからこそ私は、これからもご先祖様への感謝を忘れずにいたいと思います。
お墓や土地を守り続けることも、その一環でしょう。
私一人のことではなく、代々受け継がれてきた命の流れを絶やさないために。
◆終わりに
お盆に両実家へ帰省し、ご先祖様に手を合わせ、祖母の言葉を思い出し、そしてクーラーの涼しさに救われる――。
その一連の体験の中で、「生きる」ということの重みと、「暮らす」ということの有り難さをあらためて感じました。
ご先祖様に感謝しながら、今を大切に生きる。

そんな姿勢を、これからも日々の暮らしに取り入れていきたいと思います。
2025年 盛夏