突然ですが、本日は、神戸市中央区で発生した女性襲撃事件をもとに、「今後どのような備えが必要か」について考えていきます。
私たちは神戸に住み(働き)、便利さと安心を享受しているつもりでいても、突如として襲いかかる犯罪の前では、あまりに無力であることを突きつけられます。
特に今回の事件は「無差別に近い」「防ぎようがない」と感じさせる異例のものでした。
<神戸で起きた衝撃の事件>
20代の女性が、自宅マンションのエレベーターで刃物を持った男に襲われ命を落としました。
加害者は東京から神戸まで足を運び、3日前にも別の女性を狙って未遂に終わっていたことが明らかになっています。
被害女性は職場を出てから自宅に戻るまでの約50分間、尾行され続けていました。
マンションにはオートロックがありましたが、加害者はそれをすり抜けて侵入。同じエレベーターに乗り込み、密室空間で羽交い締めにした上で刺殺を図ったのです。
二人に面識はなく、動機は「好みの女性だったから」という身勝手なもの。計画性はあるものの、無差別的要素を含む異常な犯行です。
<「安全」の幻想が崩れた瞬間>
多くの人にとって衝撃的だったのは、オートロックやマンションという「安心の象徴」があっさり突破されたことでした。
私たちは便利な設備や最新の技術に「これで安心」と思い込みがちです。
しかし事件は、いかなる仕組みも万能ではないことを教えてくれました。
仮に今後「顔認証型のセキュリティ」が導入されるとしましょう。
確かに住人の安全性は向上するかもしれませんが、課題も山積しています。
来客や宅配便の受け取りが煩雑になり、登録作業に時間もかかります。さらに過去には、ネットオークションで入手した宅配会社の制服を着て犯行に及んだ者もいました。
この事件を機に宅配会社や郵便局では制服の返却を義務づけるようになりましたが、制度の隙を突く手口は後を絶ちません。
セキュリティを強化すればするほど、暮らしの利便性が損なわれ、別のリスクが生じるというジレンマが存在するのです。
<設備面で考えられる対策>
例えば、ドア構造の見直しです。
筒型で90度に仕切られた回転ドアを採用すれば「共連れ」侵入はほぼ防げます。
しかし一方で、災害時の避難経路が制限される、子どもや高齢者が挟まれる事故が発生する可能性がある、といった非効率性や安全上の問題も残ります。
つまり「技術的に可能でも、社会的に受け入れ可能かどうか」が課題になります。
セキュリティと利便性、そして安全性。
この三つのバランスをどこに置くかが重要になるのです。
<自己防衛という選択肢>
設備に頼るだけでなく、私たち一人ひとりが「自己防衛の力」を持つことも欠かせません。
《教育に組み込む護身術》
例えば、小中学校の体育カリキュラムに、月2時間以上の護身術を組み込む。これは現実的な施策になり得るでしょう。護身術の習得は単なる身体技術ではなく、「危険を察知し、回避する力」を育むことにもつながります。
幼いころから「危険を無視しない」「逃げる勇気を持つ」という意識を持たせることが大切です。
<防犯グッズの開発>
あくまで個人的な発想ではあるのですが、例えば、リュックの肩紐部分に催涙スプレーを装備できるようにしておき、独自の「合言葉」を発すると自動噴射する機能を開発。
これなら仮に不意を突かれた状況でも即座に対応できると思うのです。
単にボタンを押すような物であれば、誤噴射する可能性もありますが、事前に登録した声認識と呪文のような合言葉と併せる事で、簡易的なエラーは防げますし、大事な場面で結構役に立つのでは、と考えたりします。
(今回の神戸の事件がこの装備で防犯できるかどうかの判別はできかねますが、咄嗟の自衛としてはアリなのでは?)
とは言え、実際の市販化にはコスト面、法規制や安全性の課題がありますが、発想としては「携帯性」「即応性」「誤作動防止」の3点を兼ね備えた道具が求められています。
<社会全体での意識改革>
個人や設備だけでなく、地域・社会のレベルで防犯意識を高めることも必要です。
・マンション管理組合で「不審者侵入防止マニュアル」を作成する
・住民同士で声を掛け合い、不審者の情報を即時共有する
・エントランスやエレベーターの防犯カメラを強化する
・地域警察との連携を深め、夜間巡回を強化する
こうした積み重ねは、一見地味に見えても効果的です。
犯罪者にとって「侵入しにくい雰囲気」を作ることこそが最大の抑止力になるのではないでしょうか。
<「もう何もかも怖い」から「備えて生きる」へ>
事件を知った多くの人が「もう何もかも怖い」と感じたことでしょう。確かに、無差別的に狙われれば誰しも脆弱です。
しかし、ただ恐れるだけでは前に進めません。
重要なのは「怖さを認識しつつ、それに備える」ことです。
護身術や防犯グッズはその一歩。帰宅ルートを工夫する、振り返る習慣をつけるといった日常的な意識改革も大切です。
そして何より、ご近所や職場、地域社会との「つながり」を大切にすること。
孤立せず、互いに守り合える関係が安全を底上げします。
<まとめ>
神戸での襲撃事件は、私たちに「安全神話の崩壊」と「備えの必要性」を改めて突きつけられました。
これまで似たような事件が多くあり、恐らく皆さんも都度考えてはいるものの、具体案も出ず、
”可哀そうに”
という感情を持ちながら固唾を呑んで見届けている。
そんな時間になったのではないでしょうか。
顔認証や回転ドアのような技術的対策も重要ですが、それだけに頼るのは危険です。
護身術の教育、携帯できる防犯ツールの進化、そして地域社会の意識改革。
これらを総合的に組み合わせることで、ようやく「防げる確率」を高めることができます。
我々、電気屋が防犯に関して”特化した何かできる事”があるのではないか、と思いつつも何もできていないのが、少し悔しかったりします。
「誰もが狙われ得る」という時代に、私たちは「恐怖に支配される」のではなく「備えて生きる」姿勢を持つべきです。
その積み重ねが、自分自身、そして愛する人を守る力となるのでは、と思っているところです。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。