「喜ばれる」について

2025年12月16日

光電気工業広報@カンダです。

約半年前に小学校時代の同級生から
「同窓会の幹事になって欲しい」
と熱烈なオファーを受け、承諾。

貴重な経験をここでも積めたことは、
人生でも大きな財産となりました―

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2025年11月22日、三連休の初日。
少し冷たい空気と、どこか懐かしさを含んだ秋晴れの日に、
私たちは小学校の同窓会を開きました。

きっかけは、思いもよらないところからでした。
現校長先生が、実は高校の同級生。その縁から…..

「廃校になる前に、教室を使った同窓会をやってみませんか?」

という逆提案をいただいたのです。
開催の約半年前のことでした。

もともと私は、「同窓会をするなら、幹事くらいはやるで」と
公言していた人間。
その言葉通り、声が掛かり、主幹事として動き出しました。
幹事を募った結果、6人態勢の幹事団が結成。
ここから、静かで、しかし確実に熱を帯びた半年間が始まります。


◇日程と最大の悩み

田舎ならではの事情も考慮し、日程は慎重に検討しました。
稲刈りが終わり、年末の慌ただしさに入る前――。
そう考え、11月の三連休に照準を定めました。

一番頭を悩ませたのは「お酒」の問題です。
学校内では当然、飲酒不可。宴会は別会場にする必要があり、
さらに移動手段をどう確保するか。
飲酒を伴う以上、車の手配は必須です。
出欠確認の際には、「相乗り可能かどうか」まで含めて確認しました。

最終的に、同窓会は二部構成に決定。
第一部は母校での校内見学・集合写真・クイズ大会。
第二部は、同級生が営む焼肉屋での宴会です。

          ※私が実際に作った案内書

◇連絡の壁と、広がる輪

出欠を取る中で、市外・県外に出た仲間、どうしても連絡が
取れない仲間がいることも分かりました。
幹事会では、開催日と会場を決めるだけでなく、「誰が誰に連絡するのか」
を明確にし、一覧表を作成。
手配りのチラシ、LINE、口頭伝達――使える手段はすべて使いました。

結果、全体の約5分の3から返事があり、参加者はおよそ半数。
そこから改めて予算を組み直し、参加費を確定させました。

半年の準備期間中、何度も幹事会を開きましたが、これがまた楽しい。
「どうすれば楽しんでもらえるか」「問題はないか」を話し合う時間は、
すでに“プチ同窓会”。笑いの絶えない、贅沢な時間でした。


◇当日、45年ぶりの再会

当日は、空気の澄んだ見事な秋晴れ。
45年ぶりに再会する仲間の中には、
「……誰やったっけ?」と一瞬分からない顔も(笑)。

受付を終えると、校長先生の引率で、大階段前、そして校章が大きく
構える屋上へ。そこで集合写真を撮影しました。
その後、3階から1階まで、30分かけて校内を見学。

「懐かしいなぁ。。。」
「ここ、全然変わってないやん!」
「昔、ここで○○して怒られたなー」

図書室では、「昔は貸出カードやったのに、今はQRコードか…」
と時代の流れを実感。
まるで一気に時間を巻き戻したような、不思議で温かいひとときでした。

視聴覚室に戻ると、椅子を並べて校歌の“虫食いクイズ”がスタート。
ところが、意外にも全員よく覚えていて、全10問はあっという間に正解。
最後は模造紙に書かれた校歌を、全員で熱唱しました。
この校歌もあと数か月で歌う事がなくなると思うと、胸が締め付けられます。


◇写真と、深い感謝

集合写真のデータは、近くのコンビニまで車を走らせ即現像。
事前に用意していたフォトフレームに入れ、参加賞として手渡しました。
きっと、それぞれの家で大切な一枚になっているはずです。

第一部終了後、各自車で移動。
会計係が先に出発し、残った4人で校長先生に深々と頭を下げ、
心から感謝を伝えました。

第二部、そして尽きない話

第二部は17時半スタート。終わったのは22時。
同級生が営む焼肉屋ということもあり、最大限甘えさせてもらいました。
それほど、盛り上がったのです。

         ※画像はWEB上から、お借りしました。

ここでも余興として、地元名産品を賞品にしたジャンケン大会を開催。
20時には「シャッフルタイム」と称して席替えを実施し、同じ人ばかりと
話さない工夫もしました。

話題は現在、過去、未来。
そしてやはり、年を重ねると「年金」「薬の数」「健康」の話が増えていく
のも事実。中には、もうこの世にいない仲間の名前も出ました。
こうして再会し、生かされていることへの感謝が、自然と込み上げてきます。


◇幹事を引き受けた理由

私には、忘れられない出来事があります。
2011年の中学校同窓会。当初は出席するつもりがなく、欠席のハガキを
返送しました。ところが、留守中に二度電話があり、妻が対応。
「そこまで思ってくれているなら、行ってみたら?」と背中を押された事
で出席を決め、楽しい会をこの身で実感しました。行って良かった、と。

その時、熱心に誘ってくれたK代美。
2015年、彼女は脳卒中で突然この世を去りました。

「彼女の意志を、つながなければ。」

その思いが、今回の幹事要請を受けたとき、自然と私を動かしました。

   ※「余興は何をする?」と幹事会で議論した(実際の風景)


◇すべてが、報われた瞬間

同窓会を無事終え、今はただ、ホッとしています。
「三つ子の魂、百まで」と言いますが、小学校の同窓会は、
中学とはまた違う趣がありました。
誰も着飾らず、保育所時代から共に育ってきた、ありのままの旧友たち。
まさに同志です。

終わって数日後、
「開催してくれて、ありがとう」
「楽しかった」「会えて嬉しかった」
「やっぱり同級生ってええな」

そんな言葉が、幹事団のもとに次々と届きました。
正直、企画から準備、開催、会計報告まで、時間も労力もかかりました。
それでも、初めて幹事を務めた仲間からは、「達成感、疲労感、安堵感を味わえた」
との声。何よりの成果です。


結局のところ、実際には幹事云々ではなく….

「相手の喜ぶ顔が見たい」――ただそれだけ、なんですよね。

発起人となってくれた校長先生、力を尽くしてくれた幹事たち、忙しい中参加して
くれた同級生、5時間もの宴会を快く引き受けてくれた焼肉店主。
すべての方に、心から感謝しています。

最後に、
「次は、還暦のときにまた会おう」
そう言葉を交わし、再会を約束しました。

              < 了 >

・・・・・・・

この半年間の同窓会ストーリーを、皆さんにお伝えいたしました。

ところで皆さんは、同窓会に参加したことはありますか?
どんな小さな幹事でも、引き受けたことはありますか?


仕事でも、プライベートでも
「誰かに喜んでもらえること」って、やっぱり嬉しいものですね。